パブロ・ピカソ 大きな裸婦
チューリヒ美術館展で購入した、
パブロ・ピカソ 大きな裸婦 のポストカード。
4、5年前に購入したものを壁に貼り付けたまま、模様替えをしようと何をしようとずっと窓際に貼られたままの雑な扱いを受け続けるポストカードです。
当時の私の興味ごとはどすけべの意に興味シンシンで、女体とその魅力、社会的に消費されたりタブー視もされるも自身の身体のことも含まれてる女体の難解さみたいなところでアンテナをたてていました。
それにおいてピカソのこの作品、なんとも冷たいなぁ、作家のシコリティ補正も無く黙々と見たものを見たところに置きに行く画面作り、
ただの生命体としてある物体の魅力を平面化しにいってるようで、妙に惹かれたのを覚えています。
だからといってずっと壁に貼っていたのはただのズボラですが。
当日の記憶は、大御所たちの作品が1つの展示でいっぺんに比べられるなんておトク〜〜!と心躍らせて1人日曜日の昼下がりに向かい。
人でぎっしりなわけで見たい作品も人の頭、頭で気持ちが一気に失せたことをよく覚えています。
展覧会のグッズはたまに図録を買うくらいで、ポストカードはあまり購入しないのですが、
一枚だけ手元に置いておきたかったのですかね。
熱海のお土産
5年前くらいに大学の友人が熱海土産で買ってきた置物。
熱海じゃなくても良くない?ってシロモノがツボで、落としてまともに置けなくなった今でもなぜか家にある、捨てる理由もない置物。
Dr.Martens メリージェーン
Dr.Martens メリージェーン
19歳、学校帰り何度も試着して、超お金がないのに下北沢店で現金購入したのをよく覚えています。しかも他店取寄せで。
マーチンらしい足おっきいね〜になるオーバー気味のつま先デザインはもちろん、
このステッチ無しのメリージェーン、土踏まずのアーチとベルトマークの位置が絶妙で、その二点が合わさるくびれがなんとも愛らしく…
とにかくフォルムにべた惚れしているシューズです。
汚れが目立つようになった今は染めQで赤からグレーにカラーチェンジしました。また新鮮な姿が可愛すぎて見るたび動揺しています。アーメン。
新品でDr.Martensを買ったのは初めてで、あまりの皮のかたさにかかとが負けてしまい、血だらけになり、半泣きになりながらローソンでキズパワーパッドを購入した秋を思い出します。
どうしようもなくデザインが気に入った既存の靴ならば、サイズ感になりふり構ってられないのが私の女心であり所有欲の意地です。いかに工夫して履いて馴染ませていくかが勝負なので、、
なんだかんだで履きすぎてかかとがほつれてしまったので騙し騙しで縫い直すもどうにもならずジャンクとしてメルカリに出品しました。
その後どうしても忘れられずもう一足美品をメルカリで購入しまして、今はその2代目です。
その頃古着にとにかくハマっていて、あの独特の甘い服の匂いと一期一会感に虜になっていました。毎週末学校帰りに下北沢に通ってたといっても嘘ではないです。金はない。
お気に入りはシモキタマーケットというヨーロッパインポートの激安店だったのですが、なんてったってサイズがガバガバで、それもそれでイケてると思ってしまうものですよね。真っ青の編み上げの効いたワンピースを、和服を着た友人と麻布のフェチイベントに着ていった思い出があります。
人生皆アオハルファッションはアバタエクボです。
所有すること
整理整頓術、断捨離、フランス人が持つ服の枚数の本、ミニマリストなど。物を持たず、すっきり整頓されていることが良しとされる風が吹いていますが、
私は、なくても困らない物を大量に持つことこそが、心の豊かさに繋がっていると信じています。
単純に造形が愛らしく美しく癒される。以外に、
手元にくるまでのいきさつ、関連して引っ張り出される思い出や記憶を、物体として保存が出来る。
物体であるゆえに、質感、形状、柔らかさ、色を肉眼と触覚を通して愛でることが出来る。
これらのメリットは、私が懲りることなく散財する理由に充充分なのです。
このブログでは、自分の大量にある持ち物を通して付属している記憶を綴っていきたいと思います。
無駄遣いで経済まわしていくことが、私の生き甲斐です。
愛りかさんでした。